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zoom RSS 「風立ちぬ」感想:「物作り」の純粋さと呪いについて

<<   作成日時 : 2013/07/21 14:46   >>

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※以下の感想は、あくまで土屋つかさ個人の物であり、実際の作品がどうであったかとは無関係であり、また、他の方がどう思うかも自由です。あらかじめお含めおき下さい。

 これは作品のレビューではなく、作品見た後の僕の中での心の動きを綴った物である。

 「風立ちぬ」を見てきた。個人的にそうとう「クル」映画だった。で、一体なにがそんなに「キタ」のかを自己分析する為に、帰宅してすぐに短評を書いた。ただ、書いてみたら一般性が非常に低くなってしまった為、お蔵入りにした。が、一晩置いたり、知り合いに読んで貰ったりしたら、もう少し書き直せば大丈夫なのではないかと思うに至った。

 以下は、その書き直したバージョンである。以下、作品の本筋には触れないものの、若干のネタバレがある。「風立ちぬ」はネタバレがどうこうという作品ではないが、事前知識抜きで鑑賞を予定している方はここでサイトを閉じることをお薦めする。また、本稿では土屋が自身の創作姿勢についてネガティブに語っているシーンがある為、そういうのが好きでない方もご注意を。

 映画を見終わったあと、僕は少しの間打ちのめされていた。凄い映画を見た。見てしまったというのが感想だった(twitterにもそう書いた)。しかし、なにがどう凄いのか、なかなか言語化することが出来なかった。なにに打ちのめされたのか、良く分かっていなかった。帰宅して、とりとめもなくキーボードを叩いていて、ようやくぼんやりと分かってきた。

 映画の持つメッセージはシンプルだ。今この世界はどうしようもなくクソったれで、未来にも希望が見えない。震災や原発の問題は解決の目処が立たないし、隣国との軋轢も改善しないし、子供の数も減ってるし、不況が回復している実感もない。

 けれど、私たちは生きなければならない。それによってよりつらいことが待っているかもしれない。何も良いことなんかないかもしれない。無責任に希望を示すことなんか誰にも出来ない。けれど、生きねばならない。関東大震災と第二次世界大戦という、今と同じくらい、あるいはもっとひどい時代を経験した先人も、そうやって、希望なんかなんにも見えない中で、それでも、生きてきたのだから。

 基本的には、これだけだと思う(本当にそうなのかは知らない)。

 その他は、「物を作る」ということについての賛歌が全編を覆っている。飛行機を作る夢を持った主人公堀越二郎と、その友人、その仲間、その上司が、ひたすら優れた飛行機を作ることに情熱をかける物語が展開される。

 彼らが作る飛行機とは戦闘機であり、それは後に堀越がゼロ戦を設計するに至る過程でもあるのだが、そのことについては否定も肯定もされない。また、堀越は結核の女性と結婚し、彼女と都会で暮らすことを決めるが、「高原の病院に二人で暮らす」という選択肢を提示されても、堀越はそれを当然のように受け入れない。

 このあたりについて、本作は微妙に歪んでいる。東浩紀(@hazuma)さんの感想が分かりやすい。以下引用。

https://twitter.com/hazuma/status/358544867623837697
“普通のユーザーの感覚からすれば、風立ちぬは、戦争産業に従事したり恋人が結核で苦しんでたりするのにまったく主人公に葛藤がないのでびっくりするし、ちょっと共感しがたい(どこに共感すればわからない)映画だと思う。宮崎駿はこういうものだと覚悟すれば、いい映画。そういう感じかなあ。”

 東浩紀さんがどういう意図で「宮崎駿はこういうものだ」と書いたのかを完全に推し量るのは僕にはとても無理だけども、言わんとすることは分かる(と、思う)。そして、宮崎駿が堀越二郎を通じて何を書こうとしたのかも、僕には分かる(と、思う)。

 「物を作る」ということは――誰も見た事のない、新しい、優れた、高い性能の、感動を呼ぶ、人の心に残り続ける、そういう「物を作る」ということは――、それを行う人にとっては(これは強調したい。「それを行う人にとっては」)、とても純粋な行為であり、寝食を忘れてそれに没頭出来るというのは、もうそれだけで、信じられない程に幸福に満ちた時間なのだ。

 美しく、早く、そして壊れない飛行機を作ろうとする主人公堀越二郎の行動を止めることは、戦争にも、結核の妻にも、出来はしない。それが物を作る人の純粋さであり、そして呪いなのだ。彼は、妻と高原病院で暮らす選択などできない。飛行機作りを辞めなければならないからだ。戦争産業に従事することに悩む暇なんかない。費用も許可も軍からしか出ないからだ。

 飛行機を作ることは彼が彼自身に課した使命であって、他ではない。自分が夢に見た飛行機を作る。彼を動かしているのはただそれだけの純粋な気持ちなのである。それを美しいと見るか、人の心がないと見るかは、見る人の自由だと思う。ただ、僕はそれを見て、怖いと思ったのだ。僕には、物作りにおいて、このような真似はとても出来ない、と。

 果たして、僕の中には、この物作りへの純粋さが、あるのだろうか。

 僕は、安全側で生きることを信条としてきた。常に保険をかけ、失敗してもそれで致命的な事態に至らないようにすることに細心の注意を払ってきた。結果として、魂を賭けて作品を作るという行為を、無意識に避けてきたように思う。物作りの為に、眠る時間や食べる時間が惜しいと思ったことなど、もしかしたら、この人生の中で一度としてないかもしれない。

 堀越二郎のような、そして、宮崎駿のような、物作りに殉じる覚悟が自分にあるとはとても自覚出来ない。けれど、小説を書く以外に、僕は身を立てるだけの何かがあるのだろうか。それも、自覚出来ない。

 「風立ちぬ」を見て打ちのめされたのは、この断絶感を味わったせいなのだと思う。僕には物を作る側の人間としての適性に欠けているのかもしれない。そう思わされてならないのだ。堀越二郎や宮崎駿が、創作家としての一般像だとは思わない。けれど、断絶を超えて向こう側に行くことが、出来るとは思えないし、また行きたいとも思っていない。

 この短評を書き、自分の中に溜まっていた澱を自覚することで、多少楽になったように思う。僕は凡人だ。宮崎駿や堀越二郎は、その人生の全てを物作りに捧げられるのかもしれないが、僕はそうではない。その生き方を目指そうとは思わない。これは諦めではなく、人生観の違いだ。そういう生き方をしてこなかった。そして今から変えられる物ではないと思う。

 それでも、僕は夢想する。好きな人が出来て、その人のことしか考えられなくなった時のように、一個の小説を構想し、その小説のことしか考えられなくなり、それを完成させる為に寝食を忘れて執筆に没頭する自分の姿を。人生で一回でいいから、そういう状況に遭遇できたらと思う。

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